村のみんなと仕事をつくる。日本の原風景を守る挑戦

かやぶきの里が、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのは1993年のこと。

東西600m、南北300mに広がる北集落にある50戸のうち39戸が茅葺き屋根です。北山杉が茂る山々や周囲を囲む田園風景は、日本昔ばなしにでも出てきそうなほど、古き良き日本の暮らしを残しています。

そんな風景を守り未来に繋いでいこうと、北集落は1996年にお食事処きたむらをオープンしました。2000年には、安定的な雇用を地域に生み出すため、ほぼ全戸による出資で有限会社かやぶきの里を設立。中野邦治さんは、会社の副代表を努めながら、お食事処きたむらの店長を任されています。

村のみんなと一丸となって立ち上げた店

「当時は学生で大阪にいて、正月に帰省していた時に、たまたま村の青年部の会議に参加したんですね。その時、茅葺き屋根が失われつつあることや高齢化などの問題を知って、村を上げて新しい挑戦を始めようとしていることを知りました。そしたら、オープンするお食事処の店長を募集していると聞いて。僕は長男だからいつか村に帰ろうと思っていたのもあって、思い切って店長に手を挙げたんです」

しかし、飲食店で働いたこともなければ、社会人経験もない。共にお食事処を運営することになったメンバーも地元の人たちばかりで、お店を立ち上げた経験なんてありません。

右も左もわからない状況の中、店長を任されることになった中野さんは、メニュー作りや料理の試作、接客の練習などに追われることになりました。

メインメニューに据えたのは、今もお店の看板メニューになっているそば。しかし、当時は手打ちではなく、仕入れたそばを調理して提供していました。

しかし、次第にお店の前の田んぼが耕作放棄地になっていく様を見て、景観作物としてそばを植えてはどうかという案が持ち上がります。

「田んぼ一枚からそばの栽培をはじめました。収穫してひいてみたらそば粉が取れるやんと盛り上がって(笑)かやぶきの里で採れたそばを使った手打ちそばをお店で提供できるのではないかと、植え付けを少しずつ増やしていきました」

農業は以前から集落のみなさんがされていたので問題なかったものの、そば打ちの経験は誰もありません。そこで白羽の矢が立ったのが、中野さん。

「ツテを辿り、京都市内のそば屋さんで修行させてもらうことになって。お店を営業しながら、休日や夜に通ってそば打ちを覚えることになりました。当時を思い出すと、なかなかハードな毎日でしたね(笑)」

お食事処きたむらが目指すのは、喉越しの良いそば。そのため麺は細打ちで仕上げています。また、全粒使っているため味と香りのバランスが良いことも特徴的です。
寒暖差のある山間地で、空気も澄んでおり、なにより名水も湧き出るほどの水が美味しいとされる美山の手打ちそばは、絶品。創業から22年経った今も変わらぬお店の看板メニューです。

観光業よりも生活の場であることを大切に

重要伝統的建造物群保存地区に選定されてから約30年が経ち、かやぶきの里を取り巻く環境は大きく変わりました。コロナ禍の前は、観光バスが何台も乗り付け、日本各地や海外からも観光客が足を運ぶ風景が当たり前になっていたそうです。

注目度が増す中で、かやぶきの里も景観を守るため住民で議論を重ね様々な取り組みを進めてきました。
その一つが、茅葺き屋根の家の復活。
「茅葺き屋根を維持するには莫大なお金がかかり、管理維持コストは相当なものです。しかし、僕たちも昔ながらの風景を守りたいし、多くの観光客が日本の原風景を見るために足を運んでくれるようになりました。そこでトタンで覆われていた屋根を、この30年で少しずつ元の姿である茅葺きの屋根に戻してきました」上記の通り住民が意識的に茅葺き屋根を復元をしてきました。
その甲斐あって、かやぶきの里を訪れた人からは「美しい」「まるで日本のふるさと」といった声が届いています。

観光地として有名になったかやぶきの里ですが、住民一致で大切にしていることがあるんだとか。

「あくまで生活が第一。自分達の生活を乱してまで、観光業をやりたいとは思っていません」

「僕たちにとって、かやぶきの里は生活の場。集落の中にお店が乱立したり、観光客が民家に立ち入ったりしたりしてしまうと、安心して生活できませんよね。もしかしたら観光地らしからぬように映るかもしれませんが、素朴さを大切にすることで、かやぶきの里はこれからもずっと日本の原風景であり続けられるんじゃないかと思っています」

かやぶきの里の入り口には赤いポストが置かれ、茅葺き屋根の家にはあちこちで洗濯物が干され、畑仕事をしている住民の姿を見ることができます。そうした風景も、中野さんたちが守っていきたいものの一つであり、訪れた人が懐かしさや安心感を覚える気持ちに繋がっているのです。

かやぶきの里の日常を守り続ける

集落として法人を立ち上げ、雇用を生み出してきた有限会社かやぶきの里。今では正社員5名、パート・アルバイトスタッフを26名を雇用しています。かやぶきの里だけでは人手が不足していて、美山町内各地から働きに来てもらうようになりました。設立時に目指したように、かやぶきの里は地元の人や移住してきた人にとって働く場に育ちました。

また、集落には農事組合があり、有限会社かやぶきの里も組合員で自家栽培したお米や蕎麦をお食事処きたむらで提供しています。他にも、集落には様々な取り決めや活動があり、かやぶきの里を守り未来に繋いでいこうと村一体となって取り組んでいます。

そんな仕事と暮らしが密着したライフスタイルについて中野さんはどのように思っているのでしょうか。

「もうね、一緒くたになり過ぎて、何が大変なのかはわからないですよ。日常なので。大変なのではないかもしれませんね(笑)でも、高齢化が進んで限界集落になり、かやぶきのさとに住んでいる若者はごくわずか。まだまだやれることはあります」

これから目指すことは?

「会社を立ち上げたことである一定の雇用は生むことができました。しかし、まだまだ美山で働ける場所は少ないですし、空き家の問題もあります。もっと若い人が生活しやすいように環境を整えて、移住者を積極的に受け入れていきたいですし、私の後継者となるそば打ち職人も育てていきたいですね」

茅葺き屋根の家が立ち並んでいる風景は、当たり前すぎて子どもの頃は良さがわかっていなかった、と振り返ります。しかし、今は大勢の観光客を受け入れる中で、地元の良さを再発見し続けています。

「雪化粧したかやぶきの里の美しさや、夏になると蛍が飛ぶことなど、なんでもない日常なんですけど、いいなって思いますね」

お店を訪れる人から「美味しかった」「綺麗なそば畑ですね」と直接声を聞くことが何よりの励みになると話す中野さん。先人たちから受け取ったバトンを次の世代に繋ぐため、これからもかやぶきの里の日常を守り続けていくことでしょう。